なんとなくで生きてる

ふわっとしたままふわっと終わる

ブログを始めたきっかけ

何かを始める時、なにがきっかけで始めるのか?

フットワークが異様に軽い人と、そうでない人っているよね、私は興味があることですら動かない時もあるし、即行動する時もある気分屋タイプです。

ブログを始めたきっかけは、脳内にふわっと浮かんでることを文字にして書き留めることをたまーーにしていて、iPhoneのメモ帳に雑に書きなぐってたのが見づらくて、ブログならあとから見返しやすいじゃん!と、とある日の深夜2時頃に突然思ったからです。ほんとにそれだけ。

私はいつもふわっとしたイメージが80%脳内を占めつつ生活してるので、たまに文章にして、あーこういう風に思ってるんだな、自分。って、その為だけです。

共感してくれる人が見つかればとてつもなく嬉しいし、ほとんどの人は共感できないかもしれないし、逆に何こいつ?って思う人が多いかもしれないけどそれはそれであんまり気にしない

そういう意見もあるよね、みんな違う命だしね、って思う

同じ種類の猫でも性格が違うように、お気に入りの場所が違うように、人も同じなので、でも見てくれる人がいるならそれは嬉しく思います

ふわっとしたことを文字に変えるのは結構たいへんなので、結局何が言いたいのか分からないことも多く出てくるのかな、と思います

なんなら今も早速、結局この記事の趣旨ってなんだっけ?ってなってる

締めの言葉でも置いて終わりにしようかな

何かを始たい時は、今が1番良い

いつでも、今始めるのがいい

おわり

人生リセットボタンがあっても結果は変わらない気がする話

人生も時間も、生を受けたこの世の生き物には

全て平等に与えられていて

それをどう使うかは個人の問題だと思う。

側から見たら、そんなの人生の、時間の無駄遣いじゃんと言われても

その人にとってはそれが必要なことであったり

有意義な使い方だったりもする。

 

価値観なんてものは一致しないのが当たり前で、

個性は必ずあるものだと思う。

だけど、生きにくい世の中のせいで、知らず知らずの間に

少しずつ自分がまわりに、まわりが少しずつ自分に

何が本当の自分で、誰が自分なのかわからなくなってしまっているような気がする。

 

世間の目っていうのはとても残酷で冷徹で、

出る杭はすぐに打たれて個性なんてものは

飛び抜けていないとなかったことにされる。

 

そんな世の中で誰が自由に生きれるの?

みんな自分が誰だか分かって生きてるの?

 

今まで生きてきた中で、あの頃に戻りたいなぁ、とか

あの頃からやり直せたらなぁって思う場面があった。

でも気付いた。

結局やり直したとしても、結果は大きく変わらないんじゃないかって。

たとえばあの時好きな人に告白していれば、とか

あのとき志望校に受かってれば、とか

実際人生にはどうでもいいことで、それを

やり直したところで自分の本質的な部分っていうのは

変わらない。

結局クズな人はやり直してもクズだし、

自分にストイックに生きれる人はストイックのまま。

一度死んで生まれ変わったとしても変わるかどうかなんて誰も分からないんだよ。

だから、やり直しても結局は少し内容の違った同じ人生になるんだと思う。

 

なんかそう思うと、生きてる意味もわからないし

頑張る理由も分からなくなっちゃうな

きっと人は人の為に生きるのが1番強いし

頑張れるんだと思う

自分のために生きてる人ってあんまりいないもんね

 

ああなんか死にたいな